彼女との待ち合わせ時間の30分前、待ち合わせ場所のスタバの奥の静かな席に座り、事前に送付されたアプリケーション(受験申請書類)に目を通していました。
その日はINSEAD受験生のインタビュー(面接)を行う日。
私は中国北部の農村に生まれた。 村では子供は高校に行かず、親の農作業を手伝うのが普通だった。 私の両親は教育に理解があり、私を高校まで行かせてくれたが、大学に行かせる家計の余裕はなかった。
高校卒業後、私は地元の専門学校に通い始めたが、大学進学をあきらめきれず、シンガポール政府の奨学金に申請したら合格通知がきた。 必死で英語の勉強をした私は1年後、シンガポール国立大学に入学した。
学費は奨学金で賄えたが生活費は自分で稼がなければならなかった。 昼は大学に行き、夜はバイトをして自分の生活費と親への仕送りにした。 私の仕送りのおかげで弟は大学に入ることができた。
大学卒業後(コンピューター・サイエンス専攻)は大学院(修士課程)に進もうと思っていたが、ちょうど起こったアジア通貨危機の影響でその年に大学院奨学金を受けられる成績水準が引き上げられた。 生活のためバイトをしなければならなかった私は、奨学金の申請資格である成績にわずかに足らなかった。
大学卒業後はシンガポールの企業でエンジニアとして働き始めた。 夜間の大学院に通うため、必死でお金を貯め、オペレーション・マネジメントの修士号を取得した。 学位を活かして、純粋なエンジニアからマネジメントとエンジニアの中間のポジションへ転職した。
シンガポールの企業で7年間働き、奨学金の義務を果たした今、INSEADでMBAを取り、コンサルタントへのキャリア・チェンジをはかりたい。
読んでるうちにじわーっと涙が出てきた私。
おいおい、人の受験エッセイ読んで泣いてどうする・・・
待ち合わせ時間の5分前に彼女はやってきました。
非常に礼儀正しく純朴でまっすぐな印象。
「卒業後はどうしたいの?」という質問に対し、
シンガポールには本当に感謝しています。 私は奨学金のおかげで、うちの家計では無理だった、大学院まで行くことができた。 弟も大学に行かせてあげられたし、故郷の村に帰ると村の人たちが以前より「教育が大事だ」という認識を持つようになったことが一番嬉しい。
でも私はいずれは中国に帰りたい。 中国のメーカーは、日本のSONYや韓国のSAMSUNGに比べるとブランド力がなく、二流・安物のイメージで実際品質もよくない。 私は中国のメーカーをSONYやSAMSUNGに負けない世界ブランドにしたい。
「私、その日本のブランドにいたんだけどなー」と思ったが、不思議と苦笑する気は起きず、「私、こんな強い思い持って働いてたっけ?」とまっすぐな視線の彼女がちょっとまぶしくなりました。
チャイナ・ドリーム。
きっと彼女のような夢を持つ若者が数万人、数十万人という単位でいる国、中国。
シンガポールやアメリカの教育機関は彼女のような若者で溢れていて、現在、若き頭脳たちが祖国に還流を始めている。
何となく、戦後の日本ってこんなんだったのかなー?と思いました、地方→東京と、中国→世界の違いだけで。
「強い意志を持ったあなたならきっとやり遂げるよ」と心の中でつぶやいた日から1カ月後、彼女から「合格通知がきた」と嬉しい知らせが。
チャイナ・ドリーム。
まぶしかったです。
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on
- June 10, 2009 3:22 PM
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