『日本語が亡びるとき - 英語の世紀の中で』を読んで考えた点、2点目。
2. 悪循環はすでに始まっているかもしれない
本の中で以下のようなくだりがありました。
(「読まれる言葉」としての言語が亡びる、という)悪循環がほんとうにはじまるのは、<叡智を求める人>が<国語>で書かなくなるときではなく、<国語>を読まなくなるときからである。<叡智を求める人>ほど<普遍語>に惹かれてゆくとすれば、たとえ<普遍語>をかけない人でも、<叡智を求める人>ほど<普遍語>を読もうとするようになる。
世界には、複数の国で国語として使われている言語があり(例えば英語)、そのような国では自国メディアよりもレベルの高い他国メディアを日常的に読む/観る、というのは以前から当たり前でした。 例えば、私の夫はInternational Herald Tribune(米)、The New Yorker(米)、The Economist(英)を日常的に読み、BBC(英)を観ますが、オーストラリアのメディアはほとんど読まないし観ません。
端から見ていて、十分愛国心はある方だと思いますが、「質を求めた自然な選択」なんだそうです。
そして、今この現象が英語と母語の二ヵ国語(以上)を解する人々の間で起っています。
国土が広く多くの現地語が存在するインドではヒンドゥー語を母語とする人とベンガル語を母語とする人が出会うと共通言語は英語です(つい最近までヒンドゥー語だと思っていました)。 結果、インド国内でも現地語ではなく英語で本を出版するケースが増えているのだそう、現地語で出版すると同じインド人(ただし母語が違う)にさえ読んでもらえないのだから当然といえば当然の選択。
そして私。
しばらく前からですが、国際ニュースは日本語メディアでは一切読まなくなりました。 テレビは見ないのでBBCウェブサイトで速報性をカバーしつつ、The Economistでじっくり分析を読むというパターンが定着しつつあります。 日本語メディアは、Yahooニュース、NIKKEI NET、NBonlineで日本では何が話題なのか、どういう問題認識なのか日本ならではの視点、をチェックするくらいです。
ところが結構ショックな出来事が。
だいたい首相が変わったときは(これがまた、よく変わるんだが)、「今度の首相はどうよ?」と友達や知り合いに聞かれることは今までの経験上、読めていたので(*1)、麻生さんに変わったときに1ヵ月くらい注意してオンラインの日本語メディアを見ていたのですが、どうもいまいち評価がわからない。 わかったのは「帝国ホテルのバーに行ったことが非難を浴びているらしい」ことくらいか。
*1 : 『晩ご飯の話題』というエントリーに書いたとおり、みんな本当に他の国の政治まで興味あるのです。
ところが1ヵ月経つと、ちゃんとThe Economist(↓こちらの記事)に麻生政権に変わってからの動きがバシーーーッときれいにまとめられていました。
The Economist : Keem 'em guessing
「なーんだ、日本のニュースもThe Economistを読めばいいんじゃん」、と思った瞬間に悲しくなってしまった私。 The Economistならみんな読んでいるので、わざわざ日本人の私に「今度の首相どうよ?」と聞かなくても手に入る情報なのです。
池田信夫 blogに、日本のメディアに警察ネタが多いことを指して、
日本のメディアは本質的には大衆紙なのだ。これは新聞が最大1000万部近くも売れている状況の必然的な結果ともいえるが、すべてのメディアがSunになってBBCが皆無なのは困ったものである。
とあったのですが、要はThe Economistレベルの記事を書こうとしても読む人口の母数が限られている以上、The Economistレベルの記事を日本語で読もうとする市場が小さくてペイしないんじゃないかと思います。 やっぱり英語でないと、この質は無理なのでは?
・・・という意味で、叡智は「普遍語」で読まれ、書かれる、という(著者が言うところの)悪循環はすでに始まっているのではないでしょうか? 3点目は明日。
- Newer: 二重言語をどう活かすか
- Older: 英語のひとり勝ち
