若者の海外旅行離れらしいですが、たしかに日本人の若いバックパッカーってあまり見なくなりましたね。 カンボジアでも身なりの小綺麗な日本人学生グループはわりといたけど、汚い格好した1人旅のバックパッカーはほとんど見なかったなー(欧米人はたくさんいたんですが)。
私の学生時代は今までの人生で一番暗かった時期で、大学がつまらなかったので(休講多いし、誰も授業出ないし、教授もやる気ないし)、大学外の通訳者養成校に通い英語を勉強しながら(→詳細コチラ)、効率のいいバイト(家庭教師や塾の試験監督)で旅行費用を貯め、夏休みと春休みに1-2ヵ月ずつ(年間計3-4ヵ月)海外に飛び出す、という生活を4年間続けていました。
「とにかく外に出なきゃ!」と熱にうかされたように飛び出し海外を彷徨っていたあの頃の私や同じような人種(があの頃はたくさんいた)と今の学生を比べると、10年一昔といえど、やはり隔世の感があります。
バックパッカー全員が読んだであろう小林紀晴さんの『ASIAN JAPANESE』や沢木耕太郎さんの『深夜特急』
は今の学生にはもう響かないのかな?
私の場合バックパッカーといえど、女1人旅だし親も心配するので、事前にルートを決めていくことも多かったし、辺境の地を旅したり広い世界を見て回ることが目的ではなく、孤独と旅先の交流を繰り返しながら内なる自分と向き合う、それはそれは暗い、内省的な旅でした。
自分に貼られた「京大生女子」というラベルが嫌いだったので(『differentとwrong』というエントリーで書いたように世の中はマイノリティーには冷たかった。 東京だともう少し開放感があって違ったのかもしれない)、そんなラベルが全く意味をなさない海の外で自分を試す、わざわざ自ら好んで痛い思いをしにいく、そんな旅でした。
バックパッカー界(?)で自分を試す方法はシンプルです。
ユースホステルや旅先で出会う→軽く話す→気が合いそうなら一緒にご飯食べたりしばらく行動をともにする。
気が合わなければ話もはずまず、そこで終わり。
私にとっては自分に貼られたラベルが、「自分の見た目と話す内容だけ」の状態で人と交流することが目的だったので、40日間ヨーロッパ・キャンピングツアー(日本人は私1人、オーストラリア人や南アフリカ人が多かった)に参加したりしました。
TVドラマの話で盛り上がるオーストラリア人の話題に全然入れなかったり、初めは同じアジア人ということで一緒に行動していた韓国人女の子4人組に途中で「やっぱり、あなたは韓国のこと何もわかってない」と言われてグループに入れてもらえなくなったり・・・辛いことの方が多かったです。
こんな学生時代だったので、京都の同じ時代・同じ場所の空気を吸っていただろう、はてな社長の近藤さんとGREE社長田中さんのこの対談の以下の箇所は本当に共感します。 やっぱり同世代である。
近藤:
もうひとつアメリカで新鮮だったのは、日本における自分の価値がまるで通用しないことでしたね。例えば「京都大学の学生」なんてことは、まったくもって意味のないこと。" Who are you? " と聞かれたら、 "Junya Kondo " 以上のものは何もない。
(中略)
田中:
この、自分は自分以上でも以下でもない、という感覚や、どこでもやっていけるという自覚って重要ですよね。僕は大学のときに、よく一人でバックパッカーとして旅行していたのですが、現地で始めて知り合う人は、僕の姿かたちと話す内容だけで僕を判断していました。面白くもなければ友達にならないし、笑顔を見せれば親しみを持ってもらえる。当たり前なんですが、やっと僕というものは、この体と心だけなんだと知りました。
私が4年間ふらふらといろいろな場所を彷徨って得たスキルは、
- 怪しい人、危ない場所の嗅覚が働くようになった
- 財布を3回も落としたりなくしたり取られたりしたので、旅先で一文なしになったときにクレジットカードを止めて再発行してもらう方法や、見知らぬ人にお金を貸してもらう術を学んだ
- オーストリア山奥の旧ユダヤ人強制収容所見学後、乗るべきバスに乗り遅れ1人取り残されたので、関係ないバスに乗せてもらいながら目的地までたどり着く方法を学んだ
などなど。
その時は無意味に思えても後から振り返ると、こんな時代があっても悪くないもんだ、と思うのですが?
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on
- November 7, 2008 5:49 PM
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