毎年5月末にフランスのFontainebleauというパリ郊外の町でINSEAD(フランスのビジネススクール)の卒業5年目、10年目の同窓会が開かれます。
先月末には、私の1期上の人たちが5年目の同窓会に出席していました。
これはどういう意味か?というと、来年はいよいよ私たちの番(5年目の同窓会)だ、という意味です。
偶然ですが、『ハーバードからの贈り物』という本にHarvard Business Schoolの同窓会にまつわるエピソードがありました。 この本は(HBSの伝統である)学期最後の授業で教授が生徒に送るメッセージを集めたものです。
長くなるので、下の"続きを読む"をクリックして引用をご覧ください。
これに似たことはMBA同窓会に限らず、至るところで行われていると思います。
久しぶりに会う入社同期の出世度合いを計るとき、大学の同窓会で近況報告し合うとき・・・
「他人がうらやましがるキャリア」ではなく、「自分が生きたいキャリア」が大事、と何度も心に誓うのですが、度重なる他人の目、無言・無形のプレッシャー、プライド、に流されそうになるのです。
この本を読んで以来、来年の5年目の同窓会、出席しようかどうか今から悩んでいます。
以下、『ハーバードからの贈り物』の引用。
今から数年後、あなたのもとにHarvard Business Schoolから郵便物が届くだろう。いかにも楽しげな卒業5年目の同窓会への案内状だ。(中略)
行ってはいけない。
私がひとつだけアドバイスするとすれば、それに尽きる。
5年目の同窓会というのは危険なイベンドである。卒業後の短い間に自分がどれほどのことをなし遂げたかを見積もり、それを絶対的な尺度ではなく相対的な尺度で判断することを余儀なくさせられる。言い換えれば、自分の実績と収入を、自分自身の目標や成功の基準ではなく、同級生の実績や収入と比較することになるのだ。(中略)
いや、これは何年も先の話ではない。5年目の同窓会がいずれやってくるという、そのことだけでも現在のあなたの決断に影響を及ぼしかねない。おんぼろのフォードをピカピカのBMWの間に駐車するときに感じる羨望や、バリバリ仕事をして高給を得ている昔の同級生に、自分の興した会社が失敗したことを告白するときの悔しさを、まだ卒業もしないうちから想像してしまう。その結果、意識的にせよ無意識的にせよ、自分の人生を同窓会に向けてコントロールしはじめ、短期間で履歴書にハクがつきそうな仕事を選んだり、大金を稼げそうな仕事に飛びつくようになる。すぐに成果の出ない夢や目標は後回しになり、高級車が買えることにつられてやりたくもない仕事に就いてしまう。本来目指すべき目標、本当に自分にとって大切なものを見失ってしまうのだ。そして自分のキャリアに関して、リスクのともなう決断を下すことに過剰に消極的になり、しまいにはどんな決断を下すにも優柔不断になってしまうのである。
私は教授として、学生がこうした状況に陥るのを幾度となく見てきた。卒業後、華々しい成功を収める友人たちを横目に、お金も達成感も得られぬまま苦労するのはごめんとばかりに、新卒の学生は一番確実そうな道、つまり初任給の一番高い道に就く。そうすれば、同窓会に出たときに格好がつくというわけだ。こうして、本当はメディア業界でクリエイティブな仕事に就きたい学生がインベストメントバンクに就職したり、本当はリスクを冒してでも起業して自主独立の生き方を貫きたい学生が安定企業に入社したりする。5年間にクラスメイトたちが何を手に入れるか - コーナーオフィスか、多額のボーナスか、立派な肩書きか - を想像するうちに、リスクに対して行き過ぎた警戒感を抱き、失敗を恐れるあまり自分の興味を追求するのをためらうようになる。その結果、多くの聡明で才能あふれる人間が、一見カッコよく高給は得られるけれども、その人には合わない、その人が本当にやりたいことをやるのに何の役にも立たないような仕事に就き、いたずらに時間を過ごしているのだ。(後略)
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on
- June 25, 2008 4:59 PM
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